映画エンタメシリーズ「国際市場で逢いましょう」 を観て
こんにには、いつも有難うございます!
皆さん
突然ですが、
「境界線」
について考えたことはありますか??
今日はこんな境界線1本が織りなした、出会いと別れ、
絆を描いた
「国際市場で逢いましょう」
をみて気付いたこと感じたことを描こうと思います。
本当はいろいろと説明とか書きたいですがまずは思ったことを書かせてください。
まず、私こちら久しぶりに観ました。
時代としては1950年の朝鮮戦争、韓国と朝鮮(今の北朝鮮)の争いの中、
小さな男の子(ドクス)とその妹(マクス)の別れと出会いの話だったのですが、
先に言っておきます。
大号泣&胸の高鳴りが止まらなくなりました。。
そこでわたしは歴史の流れから考える境界線一本の意味とは?を考えました。
韓国と朝鮮を分ける境界線一つで、何気なく合った日常がなくなる。
出会いが、たった一本で一瞬で経たれる状況は正に、今の時代のコロナパンデミックともリンクしました。あたりまえが当たり前でなくなることが、日本の隣の韓国では当たり前になって、今でも離散家族という形で逢えない苦しみ悲しみがある。
私もつい最近実家に帰ってましたが、
楽しみにしていた兄家族、甥っ子姪っ子との再会も、私がコロナ感染の可能性がある地域で、兄がより地方というのもあり、子どもに移すと悪いからと会えなかったのです・・
それと同じように、この時代は見える境界線、国境という形で出会いの制限があったが今は、
見えない心の境界線、コロナ感染の不安から出会いがしづらくなっています。
物語の中で、主人公ドクスはいろんな苦難と立ち向かいながらも生き別れとなった父親と妹を待ち続ける。
この時代は自由の獲得の為に、戦争が当たり前にあった。
日本では考えられませんね。
そこで主人公は言います。
「つらい時代の苦しみを味わったのが、子どもたちじゃなく僕だけで本当に良かった」
と。
苦痛はここで終わりにして残りの世代には幸せに生きてほしいと。
確かにと思いながら、
今の現代はもっとつらい世の中、AI時代、人間の仕事が奪われ、人間らしさ感情を無くそうとする時代がくる。
見えない、心の不安恐怖がとまらない。
人との関係性を創るのが難しい時代になっている。
でも、その時代を大反転させるためにあると、今の人生を規定したときに、
隣国での争いも自分事として日本とどんな関係性があるか?を観たときに
違う見え方がしてきた、、
日本と韓国との関係性という観点で皆さんも見てみてください。
では!